過去の記録

近松の秘密に迫った旅(6月淡路島・神戸へ)
  今年は近松門左衛門生誕350年。あちこちで近松の作品が上演されています。和の輪も近松作品を10月に上演。
世話物最高傑作といわれる「心中天網島」です。城谷小夜子が「河庄の段」「紙屋内の段」「大和屋の段」を一人17役演じ分けます。「橋づくしの段」から「心中」にいたるまでを、竹本初美大夫と、三味線を淡路島在住の人間国宝鶴澤友路師匠に参加いただきます。
とくに、「橋づくしの段」は、83年ぶりの復活上演で、大正6年の舞台を見ていませんので、作り手のわたしたちにとっては、283年前の舞台の復活です。
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【旅日記】
6月16日(月)
 いよいよ淡路島の鶴澤友路師匠との対面の日。朝、10時半に三宮駅で音楽と音響をお願いする中島詩元興(しげお)さんと落ち合う。中島さんは千葉県松戸市から来てくれた。
竹本初美師匠のベンツに乗って、淡路島に渡る。メンバーは、初美師匠、弟子の松下さん、間宮さん、中島さん、私の5人。
淡路島は、数年前に断食療法で来て以来。(あの時は1週間で4キロ減量したなぁ・・・)
高松の渡邊雅晴さんと合流して、友路師匠のご自宅へ。90歳とは思えないしっかりした耳と足取り。2階の稽古場に毎日階段を上り下りされているとのこと。
 早速「心中天網島」のうちあわせ。友路師匠ですら、「心中天網島」はやったことがないという。近松が亡くなった後、「時雨の炬燵」が作られて今はこの方がよく上演されいる。私は今回著作権のことがあり、初美師匠と相談して、原作中心で上演することにした。
原作には、フシハルとか、スエテとか、本フシとか、ちょこちょこかいてある。実はこれが近松の書いた原曲であることが、今回の旅でわかった。
友路師匠が、奥から1冊の本を出して来て、三味線を弾きだしたのだ。300年も昔からの譜が今も残っていることに感動。やはり日本文化はちょっとやそっとの代物ではない。
このことは日本人みんなが自信を持って、自分に言い聞かせていいのではないだろうか。
「あんたのDNAには地球人としての歴史と同時に、この美意識を作り上げた日本人のDNAの入っているのだよ」と。
3時から6時間近くも打ち合わせをして、わたしたちはおうどんをご馳走になりお師匠さんのおうちを後にした。
ホテルに帰ったのが午後9時すぎ。いわずもがなのうちに東京の舞台を引き受けていただき、とても嬉しい。
これはすごい舞台になる。

6月17日(火)
今日から初美師匠と打ち合わせ。中島さんがいる間に、出来る限り見通しを立てたいと思っていた。どんどんと打ちあわせが出来、「ほぼ見通しがたった」と、中島さんも喜んで帰られた。
河庄から大和屋の段までをわたしが一人芝居し、橋づくしから心中までをお二人に入っていただくことになる。

6月18日(水)
橋づくしの段の作曲が始まる。近松の楽譜どおりにやっていくと、ことばが収まっていく感じがする。
順調。

6月19日(木)
「どんどん曲がわいてくる」と初美師匠。ありがたい。おもしろい。
京都から植松和恵さん、神戸の三好さんが会いに来てくれた。垂水のレーブ・ドゥ・シェフの佐野誠子さんもお菓子を一杯もってきてくれた。
弟子の松下さんの向かいに佐野ファミィィは以前住んでいたとのことで、久々の再会を果たした。三好さんも習字の先生からよく頼まれたおいしいケーキ屋さんがレーブ・ドゥ・シェフだとわかり、本当に世間は狭いね、と言い合った。(神戸の皆さん、垂水の駅前のケーキ屋さんがそうですよ。大阪にもお店を出しています。)
小早川圭子さんに電話が通じ、「時雨の炬燵」の床本を送ってもらうことと頼む。283年ぶりの復活上演とはしゃいだが、数時間後に 電話が入り、大正6年に200年ぶりの復活上演と称して上演されたことを教えてもらい、「83年ぶりの」に変更。よくぞ調べてくださり、本当にありがたいと思う。

6月20日(金)
いよいよ最終日。岡山からマラト君来てくれる。彼はサンクトペテルブルグで通訳をやってくれた優秀な学生で、現在岡山大学大学院で与謝野晶子を研究中。近松にも興味を持ってくれている貴重な国際人。
姫路から伴善道先生も来てくれた。5年ぶりの再会はまったく昔のままで、嬉しくなった。
さて、最終日は頭から本息で読みテープに収めた。足りないところ、わかりにくいところもわかった。時間的にはちょうどかと思う。
5行本を作り送ること。
ほぼ上演の形が決まったので、あとは東京のみんなで盛り上がるだけ。
来年は海外公演を実現したい。
近松さんのサポートを強く感じる。
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